加藤徹/貝と羊の中国人

四川省の被災地に、世界でもっとも早く救助隊を派遣したことによって、中国での日本の好意度が軒並みに急増していることが報告されていますね。その意図が明らかな報道が目に障りますが、総じて喜ばしいことだと思います。
この一転した好意度アップには、中国人の独特な感覚と関係していることが考えられます。中国人の恩義の感覚には、「功」と「徳」があります。「功」は、自分の職業や仕事を通じて世のために働くことです。良いものを安く売る商人がしているのは、「功」にあたります。現世的な見返りが期待されるのが「功」のポイントです。これに対して「徳」は、見返りを求めない行為を指します。貧しい人に金銭を寄付するのは、「徳」です。中国人はこの「功」「徳」を分けて考えます。そして「徳」を行うと、中国人は「純粋な感動を味わう」といいます。見返りを計算できる「功」ではなく、ただ被災者たちを助けるためにやってきた日本人たちは、この「徳」という感覚にあたったのでしょう。それが今回の好意度アップというヒットにつながったのかもしれません(もちろん政治的な思惑から言えば、「功」にあたると思いますが)。
さて、中国についてまったくの門外漢であるぼくが蘊蓄を語ったのは、一冊の本を読んだからです。加藤徹さんの『貝と羊の中国人』という本です。この不思議なタイトルの由来は、三千年前にさかのぼります。

貝と羊の中国人 (新潮新書)

貝と羊の中国人 (新潮新書)

三千年前、殷王朝の本拠地は、豊かな東方の地でした。彼らは遠い海から運んできた「子安貝」を貨幣として用いました。財、販、貧、貸、貿、資、賜、賭…など、有形の財に「貝」が含まれるのは、殷人の気質の名残です。殷の宗教は多神教で、神々は人間的でした。殷の「八百万の神々」は酒やごちそうなど物質的な供え物を好みました。そんな殷の人々は自分たちの王朝を「商」と呼びました。これが、「商人」の由来となりました。
いっぽう殷を征服した周王朝は、中国北西部の遊牧民の気質を持ちました。彼らは「羊」と縁が深かった。広漠たる大草原や砂漠地帯を移動しながら暮らす遊牧民たちは、「空から大きな力が降ってくる」という普遍的・一神教的な信仰を持ちやすく、彼らは唯一神である「天」を信じています。ここでの神は、物質的な供え物よりも無形の善行を好みます。つまり周人の神々は、物質で買収することはできなかった。義、美、善、養、儀、議、羨…など無形のよいことをに「羊」が含まれるのは、そのためです。たとえば、孔子による儒教などの熱烈なイデオロギーは、この「羊」の感性によるものとなります。
筆者はこの「貝」と「羊」というキーワードをもとに、現在の中国人の感性を読み解きます。中国人たちは、ホンネとしての「貝」とタテマエとしての「羊」という両面をもち、それをうまく使い分けることによって、極めて合理的な思考を行っていると言います。たとえば、金儲けと共産主義が矛盾しないのは、この「貝」と「羊」という二面性があるからです。また小泉元総理による靖国参拝にはじまった強烈な「反日運動」の最中も、吉野家が中国人の客で繁盛し、日本のアニメが夕方に放映されていたのは、この「貝」と「羊」を使い分けていたからです。つまりホンネの「貝」とタテマエの「羊」という感覚を理解しなければ、中国人たちに早まった解釈を下してしまうと著者は述べています。
この本、ひさびさに出会った面白い本でした。おすすめです。ぼくは仕事の関係で中国について知らなくてはいけなかったので、中国文化の基礎的な知識がほしく、本屋で偶然手に取りました。とても良い入門書だったと思います。「貝」と「羊」という良質なメタファーを与えてくれたのだけでなく、著書自体がとても面白く、文章の節々から著者の豊かな背景知識が感じられました。中国についてかかれている本なのに、日本のことを引き合いに出していて、自国についても客観的に知ることもできます。こういう本質的な議論は、ただ中国について書いている観光ガイドに毛が生えた程度の本ではできません。中国に興味のある方も、そうでない方も、どちらにもおすすめの良著です。