「痴呆老人」は何を見ているか/大井玄

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

いつもの3人で輪読した本。思わぬヒットでした。
著者は東大医学部教授で痴呆老人の事例を多く見てきた方です。痴呆老人の見る世界を通して、人の意識の成り立ちを分かりやすく説明しています。
人はまったく同じ環境にいながら、それぞれちがう意味を見出し自分なりの環境世界に住んでいます。痴呆老人も同様に自分の世界を作り出しています。たとえば、病棟にいる他人を自分の夫と思い込んだりして過ごしている状態です。ここで重要な法則が最小苦痛の法則です。もし架空の夫に他の愛人が現れても、彼女はその愛人を叱責することはできません。なぜならばそうすることでせっかく創り上げたバーチャルリアリティが崩れてしまうからです。
また人は誰しもがつながりを求めています。とくに痴呆老人の場合は、情報のやりとりではなく、情動(心)のやりとりになります。論理ではなく雰囲気、情報ではなく情動。会話がまったく噛み合っていない痴呆老人同士の会話は、情報ではなく情動をやりとりを行っています。(ぼくは小さいころ祖父と会話はほとんどしていませんでしたが、ずっと近くにいて心地良く感じていました。ときどき、祖父を「猫のようだな」と思ったりしました。言葉にならない情動をやりとりしていたのかもしれません)
この「つながり」はこの本の大事なキーワードになっています。ぼけは人との関係性のなかで作られるものでもあります。杉並区内の老人を対象に調べたところ、「ぼけ老人」とされている方の約20%は正常か軽度の知力低下があるだけで、大部分の方は「うつ状態」でした。また反対に「正常老人」の10%近くで中程度から重度の知力低下が見られたそうです。ほんとうはトンチンカンな反応をして「ぼけ」とされ痴呆老人にくくられるひとのはずが、ふつうの年寄りとして日々を送っていることもある(また沖縄にはぼけ老人はいないそうです)。つまり知力の低下がイコール「ぼけ」というわけではないようです。
…だらだらとメモしてしまいました。とりいそぎ。この本はおすすめです。(また追記します)