いましろたかし/デメキング

先日のこと、ひさしぶりに会った友人にカバンをのぞかれ、『初期のいましろたかし』を発見されました。しかたなく分厚い本を出すと、表紙のいましろ調の濃ゆい絵に「絶対に俺をふったことを後悔させてやる!!!」との吹き出し。童貞丸出しの発想とむさ苦しい顔、情けない台詞。思わず引き笑いする友人に、なんで俺こんなマンガを今日に限って入れてるのかなぁ…と苦笑い。いやあ、まいってしまった。

こんなエピソードが、ぼくにとってのいましろマンガ的な体験だ。「いやあ、まいった」という感覚。いましろたかしさんを説明するときに不思議とこみ上げてくる言葉です。

過剰な自意識としょうもなさ/ダサさを抱えつつ、自分は他人とちがう才能があるはずで、なんとかなると思っている。でもちっとも変わらない。面倒なことは嫌だからと思って、けっきょくのところ、一番の遠回りをしている。最後はどうでもよくなって、鼻歌で家路に帰る。糞して寝ればいい、そんな気分。そして当然、明日も同じ自分が待っている。
ましろマンガの主人公たちは小さな人生のなかで、周囲への怒りを健気に持ち続けつつ、でもどこか猛烈にあきらめています。そしてこれは、ぼくたちの現実でもあります。ぼくたちはそんな主人公に部分的には強烈に親近感を見出しながらも、すべてにおいては同意することはできません。でもたしかに「リアル」が描かれているから、「いやあ、お恥ずかしいです」「いましろさんったら、ホホ」と舌を巻いてしまう。今現在「なんとかなっている」ような自分にも、そんな「いましろマンガ的」な人生の可能性が開けていたことが誰にでも思い当たるからです。これがぼくの思う、いましろマンガ的な体験。妙な恥とか、過剰な自己愛とか、何もかも面倒くさすぎるだとか、そんなことが率直に描かれていて、はぁこんなの他にないぜぇ…と思います。

いましろたかしさんのマンガは、正直どれも面白いです。とくに男性なら、誰にでもおすすめできます。そして、なんといってもぼくのおすすめは、復刻された『デメキング 完結版』です。

デメキング 完結版

デメキング 完結版

この『デメキング』の特徴は、私漫画を得意としていたいましろさんが、時代の潮流を感じつつ、「ちょっと背伸び」をして、ストーリーものを書いてみようとしたところにあります。それが猛烈に面白い。いましろマンガのテイストは保ったまま、つまり例のごとく猛烈に辛くだらしない現実を過ごしている主人公が、まったくSFの世界に放りこまれてしまう。

主人公の蜂屋は、バイクに情熱を持っていることの抜かせば全くの地味な青年で、瀬戸内の田舎で昭和40年代を過ごしています。「なにかでかいことしたい」と言いながら、とくにやりたいことももてず、地元の遊園地に就職し漫然としています。しかしあるとき、蜂屋青年は浜辺で不思議なビンを手に入れ、ある幻影を目にします。それは「昭和」の時代が終わり、未知なる「平成」という年号の与えられた未来に訪れる、一匹の巨大怪獣の姿でした。巨大な目が2方向に飛び出したその怪獣は、蜂屋の前で逃げまどう少年たちを無惨にも踏みつぶしてしまいます。圧倒的な暴力です。蜂屋は怪獣を「デメキング」と名付けました。そしてビンのなかに入っていたのは、未来の蜂屋が採取したデメキングの足形でした…。
目が飛び出して死んでしまった少年、幻影の未来、確実に崩壊をイメージさせる現実。舞台は昭和の終わり、たしかにノストラダムス的な終末感が漂っていました。蜂屋は来るか来ないかも分からない怪獣を、そんな時代にひとりで待ち続けているヒーローなのです。それが蜂屋の正義です。

面白いのは、ストーリーが決定的に謎の未来怪獣「デメキング」の存在を明らかにしながらも、いましろマンガ独特の主人公の頼りなさが、読者に「デメキング」の存在を「けっきょく夢だったんじゃないか」「ただの鬱青年の妄想じゃないのか」と最後まで思わせてしまうところです。そのミステリーのバランスは、いましろ版『21世紀少年』と言いたくなります(ちなみに、いましろさんは浦沢さんより先にこの作品を描いています)。
実はいましろさんは、あとがきで「デメキングは失敗作だった」と述べています。たしかにストーリーは行き詰まり、後半の草野球のくだりなんかは「おいおい、大丈夫なのかな…」と思わされてしまいます。そしてほぼ無理矢理・超強引なラストシーン(完結版オリジナル。これは注目)を迎えてしまいます。でもこれでいいのです。なにせ「私漫画のいましろ」とも呼ばれる方だし、そんないましろさんにここまでストーリーで楽しませてもらうのは驚きでした。それにある意味、SFとしては全く独自のものになっていたと思います。
さらには、マンガの制作過程。いましろさん自身がストーリーものにチャレンジした結果、ある挫折を味わって頓挫してしまった。これもこれで、いましろさんの私漫画の足跡な気がして、ぼくにはいましろさんがかっこよく、魅力的に思えるのです。