銀座にいた自分からみた東北関東大震災(帰宅ルート:東銀座→武蔵小山)

すごい揺れでした。ビルの11Fにいましたが、途中立てないくらいの揺れになって騒然としました。はじめのうちは「おおきいね〜」なんてアハハしていたのですが、途中からみんなの顔色がかわりました。意外に死ぬときはこんなふうに途中までアハハなんて言ってたりするのかもしれない…なんてことも想像しました。席にもどると、会議室の一部の天井が落ちていて驚きました(会議室にはだれもいなかったので被害はありませんでした)。
崩れた書類をなおしながら、どうせ電車も動いていないだろうと会社で待機していると、そのあと何度も余震があって、みんなで騒いだり、机の下に入ったりして数時間を過ごしました。途中からは余震にもなれてしまって、揺られながら企画書を書いたりしてました。大きな建物のなかにいるじぶんのことよりも福島の祖母が不安で何回も電話をかけましたが、通じるわけもありませんでした。電車が復旧する見込みもなさそうなので、いつ帰ろう、いつ帰ろうと思いつつ、ニュースやツイッターを見ながら、「次揺れたら帰りましょう」と先輩と決めて、けっきょく18時すぎに家が近い同期(目黒在住)と一緒に銀座を出ました。ほんとうは政府が会社で待機しておくように指示を出したらしいですが、ぼくらはその通達を歩きながらツイッターで知りました。
以下は歩いて帰ったときの銀座〜武蔵小山の様子です。まずは銀座。
【銀座 18:30ごろ】



18時半ごろの映像ですが、ふだんより人通りがおおく、みんな家路に急いでいます。みんな同じ目的をもって歩いているのが不思議でした。
【新橋駅付近 18:30ごろ】



新橋駅付近です。銀座からイタリア街のほうに抜ける道です。かなりが多く、ごった返していました。人が多くて道もせまいので、ゆっくりしか歩けません。まるで万博を思い出すような混み方でした。
他の人の会話に耳をすましていると、会社の同僚同士で家が近い人がいっしょになって帰っているひともたくさんいるようでした。ふだんは話さないような人と一緒に長い間歩くので「もしかしたら急に仲良くなって付き合ったりとかあるのかな」などと同期と話していました。実際、飲み屋を覗いてみると、多くの人が歩くのをあきらめて飲んでいる姿が見れました。
浜松町駅付近 19:00ごろ】



浜松町駅付近です。ここもかなりの混雑です。夕食時だったので、ファーストフードのマックや吉野家には行列ができています。寒かったので、らーめん屋も混雑していました。見上げると、先端が光らなくなった東京タワーが見れます。かなり揺れたんだろうなァと想像しました。また、こんなに夜遅くに人がたくさん歩いているのが妙な感じで、ふと「なんだか韓国みたいだなぁ」「あ、不思議とわかる!」と友人と話していました。まったく韓国なんかではないのに、不思議と通じ合って面白い感覚でした。たぶん人の多さと東京タワー付近の道の広さが、ソウルの王宮近くとすこし似て感じたのだと思います。
【慶応大学付近 19:20ごろ】

慶応大学付近に着きました。ここもたくさんの人は歩いています。みんな足早です。さらにバスには長蛇の列ができていました(動画でも確認できます)。バスを覗いてみるとかなりの混みようなので、利用する気にはなりませんでした。高齢者に優先して使わせてほしいなぁと思いながら歩きました。
ぼくは慶応SFCの卒業生なので、三田キャンパスはあまり来ずたまに図書館を使うくらいだったのですが、せっかくなのでこの日は慶応大学構内を通って帰りました(ちなみに一緒に歩いた友人は慶応法の卒業生です)。後ろを歩いてた先生方?が「お、サクラが咲いたな」と話していて、見上げると少しつぼみが開いたサクラがありました。こんな日に春の訪れを知るのは妙でした。
ちなみに三菱自動車の社員の方がヘルメット+防災用具が入ったリュックサックで歩いていました。そのスーツ姿は正直かっこ悪かったですが、その姿を見ながら「さすが大企業だ」「会社の大きさが生死を分ける」と友人と笑い話をしていました。
白金台駅付近 19:40ごろ】

最後の1枚は白金台付近の歩道橋の上から撮りました。渋滞がわかるかと思います。タクシーで帰らなくてよかった…とちょっと思いました。ほんとうは大きな地震がおこったときは、緊急車両が通れなくなるので、クルマは置いて避難するのが正しいです。
このあとは、おなかが減っていたので目黒駅付近のカレッティエレで食事をしました(はじめて入りました)。歩きながら「ホットワインでも飲んで温まりたい」と話していたので、ホットワインとパスタをいただきました。ぼくは食べながら、家にいる家族や福島にいる親戚のこと、たぶんむちゃくちゃになっていそうな自分の部屋のことが不安でしたが、食事途中で家にいる姉と電話がつながり、すべて問題ないことが分かりました。すごくほっとしたので、はじめて心から食事を楽しめました。ひとり暮らしの友人は最後まで自分の家のレグザが倒れていないかを心配していました。けっきょく23時くらいまでお酒を飲み、目黒駅〜大鳥神社を通って、家に帰りました。
【全ルート】

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かなりのんびり過ごしていましたが(そして「不謹慎」だったかもしれませんが)、帰宅時にはまだ東北地方がこれほど大きな打撃をうけていることは知りませんでした。家に帰ってテレビやネットをチェックすると、大変な被害にあってらっしゃる方がたくさんいるのが分かりました。少しずつ重大さが分かり衝撃をうけました。
ひとりでも多くの方が助かることを祈っております。また、大切なひとと連絡がとれない方がすこしでも早く安心できますように。
また今回はケータイの電波が有限であることが多くの方に印象づいた出来事だったと思います。反対に、もっとも災害に強いラジオ、また情報をまとめてくれるテレビは頼りになりました(radikoもありがたし)。さらにはツイッターが重要な情報源にもなりました。もうインフラの1つのような存在ですね。スカイプのアプリもこれを機にインストールしました。
(あ、また余震を感じました。ドギドキします。みんなが安心できるときが早くきますように)